圭鍼灸院は、「マクロな治療院」を標榜しております。
院長である僕自身が、マクロビオティック関連のセミナー講師などもさせていただいてますし、
日々の治療、養生指導、カウンセリングなども、基本の軸としてマクロビオティックの考え方があります。
「やっぱり玄米菜食でないとダメですか?」などと尋ねられることもありますが、
あまり真正面からお答えすることはないです。
玄米菜食は、マクロビオティックを実践していく上で大切なことではありますが、
マクロビオティックそのものではありません。
玄米菜食はマクロビオティックの重要な一部であって、マクロビオティック全体を表すものではないのです。
マクロビオティックとは、Macro(大きい、全体)、Bio(生命)、Tic(学・術)の言葉通り、
「大きな生命観でもって生活すること」です。
玄米菜食のみならず、特定の部分だけにとらわれてしまうと、
全体が見えなくなってしまうものなのです。
そのことを理解するために、あえて「食」とは違う話をしてみます。
ある患者さまとの会話を思い出します。
腰から背中にかけての強い痛みで夜も眠れないほどの症状を持ってらっしゃいました。
病院を転々としてこられてきました。
レントゲンもMRIも、血液検査も「異常なし」だそうです。
でも、「痛い」んです。
夜も眠れないほどに。
そして、ある院での先生との会話の内容を話されました。
「もう、とにかく、安静・休息しかない。休みなさい」
「休め、と言われても、そんなにずっと休んでたら仕事、クビになります。無理です」
「いや、そんなことはないだろう」
「いいえ、そんなことあります! クビになったら、どないして生活するんですか?」
「あんた、貯金だってあるでしょう」
「......」
こんな内容でした。
そして、「先生も同じこと、言いますのか?」と。
いいえ、そんなことは申しません。
とにかく「今ある痛み」が和らぐよう、最善の治療はします。
痛みの出ない(出にくい)動き方は、一緒に考えます。
お仕事を続けながら治療も出来るよう、ベターな方法は考えます。
例えば、「週に一日でいいから、朝に治療に来られて、仕事に遅れて行くことは可能ですか?」と。
その枠のなかで何が出来るのかを最大限に考えることが治療者の役割だと思っています。
結局は、その後まったく痛みはなくなって、治療を終えました。
「あれは、なんだったんだろうな~」って笑っておられました。
「痛み」はもちろん、その人の一部ですが、すべてではありません。
ましてや、多くの人にとっては「仕事」の方が、よりウェイトの大きなものであると思います。
「痛み」のために犠牲にするものが多いというのは、
その人にとって「痛みさえなくなれば、残りの人生のことはどうでもいい」ということになります。
命に関わる病気など余程の状態のケースを除いては、
それでは本当の治療とは言えません。
すべてを「全体」の中から考える必要がある。
その「視点」がマクロビオティック的な治療院に必要なもの。
そのように考えています。
ありがとうございます。