春の心地よい天気の朝だった。
前日からの強い風のせいで桜の花びらが散ってきていて、道路を埋め尽くすほど。
さくら道と呼ぶにふさわしいほど、道路がピンクだった。
桜の道と書いて、桜道(おうどう)か、これぞ王道やな~
僕は、そんなことをつぶやきながら、自分の治療院の前の道路をほうきで掃いていた。
僕の名は圭、開業鍼灸師である。
体の不調を訴えてわざわざ遠方からも患者さんが来てくれるのに、
うちの治療院の前で桜の花びらで滑って転んでケガをして、
痛いところが増えて帰られるようなことになってはシャレにならない。
「おい、もっとちゃんと掃きなよ」
えっ?
驚いてキョロキョロしたけど、誰もいない。
気のせいか...
横道(よこみち)にそれて、それもまた横道(おうどう)なんちって~
「自分、なかなか面白いな」
ええぇっ?
目の前で、真っ白な犬がこちらを向いている。
携帯電話のCMでも見過ぎたか?
まさか、犬が喋るだなんて...
「その、まさかや」
はぁ?
「自分、犬は喋らないもんやと思ってるやろ? 思い込んでるやろ?
その思い込みを外せや」
はい。
でも、あの...
「ええから、まずは思い込みを外すことや。
犬の中にも言葉を喋るやつがおるということを、
いま目の前で起っている事実を、
まずは素直に受け止めることや」
はい、わかりました。
それで...
「ワシの名は、伝次郎。
自分に、大切なことを伝えにきたんや。
ほんで、自分はそれを次の人に伝えていくんや。
それが自分の役割や。
わかったか?」
はぁ、僕の、役割...。
でも、なんで?
「理由なんか、あらへん」
ムッとした僕と、伝次郎は、そのまましばらく見つめ合っていた。
「そやな~」
「あえて理由を挙げるとすれば、ここの治療院。
自分の名前が圭やから、圭鍼灸院って、驚くほど単純やろ。
そやから、まぁ、素直に耳を貸しそうやん」
そういうものなのか...。
「それと、なんやかんや言うたかて、
自分とこの患者さんのために、朝も早うから、
こうやって掃除してる。
そんなんするやつに、まぁ、悪いやつはおらんやろ。
そういうこっちゃ」
けなされたのか、褒められたのか、なんだかよくわからなかったけど、
こうして僕は、犬の伝次郎と、出逢った。
そのときはまだ、伝次郎から教えられるのがどれほど大切なことかも知らなければ、
後に、伝次郎から教えられたことを、人前で話す日がくることなど、
想像もしていなかった。