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ええ先生と、伝次郎


その日は少し、朝から曇っていた。

僕は、自分の治療院前に転がっている空き缶を拾いあげた。
缶ビールの空き缶が2本、落ちていたのだ。

はぁっ。

ため息が出た。
自分でもなぜだかよくわからないけど。

ビールって大人の飲み物やのに、
飲んだ後に缶々も片付けられへんなんて、子どもやん。
ええ大人のやることとちゃうよな~。

そんなことをつぶやいたように思う。


「朝からうっとおしい顔してんな、自分」

出たっ!

伝次郎だ。


顔は親のせいや、ほっといてくれ。


「ほんで、何をブツブツ言うてたんや?」

あぁ、ええ大人って何かな~、と思ってね。


伝次郎を前にすると、素直に答えてしまう自分がいる。


「ええ大人、ってか?
顔に似合わず、哲学的な質問しよるな」

いちいちムカつく奴、
いや犬だ。


昨日もね、患者さんに尋ねられたんです。
その人、来月で引っ越ししはるんですけどね、
引っ越し先での、ええ先生を紹介してもらえませんか、って。


「なるほど、ええ先生、か。」

ええとか、悪いとか、何をもって判断したらええんでしょね?

「よし! ほんなら、例えばの話やで。
自分が何かを買うときの、セールスマンで、ええセールスってどんなん?」

ええセールスか...。
一生懸命な人とか。

「ほかには?」

自分が売ってる商品を心から信じてる、とか。

「それは、なんでわかるのん?」

ときどき尋ねてみるようにしてるんです。
自分でも使ってはりますか? って。

「ふんふん、なるほど。
それで、ええセールスマンは?」

もちろんです! って即答しよります。

「そやろな。
ほな、そうでないセールスは?」

個人的な質問は答えんように会社から言われてる、とか、
なんか誤魔化しよるような気がするんです。


「それやがな!」

はぁ?

「それや。自分、もう答えは見つかってるがな」

え?
どういうこと?


「自分で言うてるやないか。
まず、第一に誤魔化しがない、正直であること。
次に、自分の売ってるもの、やってることに自信があること」

そうですね。

ということは、引っ越し先で同じような質問をしてもらえばええと。
例えば、先生はご自身が病気になられたらどうしますか?と、尋ねてみたらどうですか、とか。


「そういうことやな。
自分、なかなかやるやん。
その通りやん」


初めて伝次郎から、真正面から褒められた気がする。


「ところで、それってどういうことかわかるか?
自分、さっき、なんやらぶつぶつ言うてたやろ。
大人がどうとか。
あれ、どういうことか、言うてみ」

あぁ、空き缶のことか。
いや、ビールなんて大人の飲み物でしょ。
どんな人が飲んで捨てていったか知らんけど、
その人でも、家では子どもさんがいてはるやろうし、
仕事してて部下でも抱えてはったら、
その人らには『片付けろ』って言うんやろな、と思って。

「なんで、そんなんわかるのん?」

ビールの缶には、戎さんが座ってはったんで、
そんなん飲むのん、社会的にはそれなりの立場の人のはずやから。

「自分、凄まじい洞察力やがな」

それくらい、わかるでしょ。

「ほんで、つまり?」

まぁ、つまりは言うてることと、やってることが違うやろ、って。

「自分、恐ろしいな。
恐ろしいくらいに、その通りやん。
答え、知ってるやん」

そう、ですか。


「結局、ほんまの答えなんていうのは、
自分のなかに持ってるもんかも知れんなぁ~」


そう言い残して、伝次郎は走り去ってしまった。

ビューンと風の音が聞こえたような気がした。

 

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