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秩序と、アクと


料理のことは、
「理(り)」を「料(はか)る」と書きます。

これは、日々の生活というのは、
宇宙の秩序に則った生き方をするものと表現しています。


食養料理では「一物全体」といって、
食材は丸ごと使うという教えがあります。

このことから、お米では精白せず、
野菜では皮も剥かずアクも抜かない料理法があります。

自然にあるがままの状態というのが
本来のバランスが最も取れている状態ということが言えるので、

できるだけそのままでいただくことが、
体にとってもバランスよく望ましいとする考え方です。


また、普段は捨てられてしまうような部分をも、
きちんと活かして素材のもつ本来の味を引き出せるのです。


きんぴらごぼうのような自然な甘味は、
ごぼうを全体として使ったうえで
微妙な火加減・塩加減で出せるものでしょう。


捨てるところにこそ本当に大切なものがあるとも言えます。

皮を剥きアクを抜き
無駄だと捨てるところの多い料理では、
何を食べても同じ味になってしまいかねません。


かつて、いつ・どこの店舗で食べても
同じ味であるという安心感がはやった時期がありました。

でもやがては飽きられていったように、
画一化された味というのに安心感はあるものの
面白さに欠けるということもあるのでしょう。


全体を活かして微妙に加減していくというのは、
人間関係や子育てにおいても同じこと。 

「アクが抜けた人」とは、
変な癖がなくなり磨かれた人のことを言いますが、
抜け過ぎると個性のない面白味の人となります。

「アクの強い」といわれるような個性の持ち主にとっては、
短所があるからこそ長所が活きてくるのです。


昨今のメディアを見ていると、
ほんの少し人と違う言動をしたことで叩かれる風潮にあります。


今後その傾向が強くなれば、
皆が枠にはめられたように同じことを言い
同じことをする面白味のない社会になるだけでなく、
個性が徹底的に排除されてしまうかもしれません。


社会を全体として見れば、
反対する意見や変わった行動があって
はじめて成り立つものです。


食材にとっての捨ててしまう部分、
人間にとってのなくしたい短所であっても、
やはり全体としてひとつのイノチ。

どこが欠けてもイノチは成り立ちません。


すべてにおいてマイナスに見えることにも意味があり、
それの捉え方ひとつでいかようにも変わるのです。


アクは「悪」ではない。
大切な構成要素。

それが欠けると成り立たないものでもあるのです。



一物全体とは、
すべてを包み込む優しさがあって言えることなのですね。


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