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2018年5月アーカイブ


思い遣り。
漢字で「遣る」とは、
思いを相手の心に遣わすことなのだとか。

自分の発する言葉や行動が、
自分のもとを離れてから相手に届くための心の使者のようですね。


治療者という立場からの本当の思い遣りとは、
病気やケガを
さっさと治してしまわないことではないか。
そう、考えてしまうことがあります。


不思議なもので、
学生さんのスポーツ疾患は続くときには、続きます。

4月には、陸上部ばかり。

しかも、短距離ばかりが続いた。


5月に入り、

野球、バスケと挟んで、

先週からは
バレーボール部が続きました。

かと思いきや、
また陸上部がチラホラと...。


競技、種目、ポジションはバラバラ、

そして、学校も地域も別々なところから。


そこで共通点を探ってみると、

神戸、加古川、姫路...、
明石市外からの来院というのが共通点になる。


近所の病院・治療院に何週間も通ったけど、
一向に良くならなかった経験をしてきている。
どこにいっても治らなかったという共通点もある。


試合が近づいてきて、
なんとかしないと、ってなって、
いろんな人に聞いてまわった挙句、
ここにやってくる。


そして、ほぼ確実に、
試合には間に合わせてきてる。


初回で痛みのすべてがなくなるわけではないけれど、
試合当日には間に合うようになっています。



痛みがなくなれば、
すぐにでも動きたい。
これが本心でしょう。

だからといって、
完治しないまま、
あるいは、原因を取り除けていないままで
また同じ動きをすると、
繰り返してしまいます。


たとえばスポーツ選手にはケガはつきもので、
誤解を恐れずに言えば、
ケガをするのは早ければ早いほどいい。

もちろん、できるならばケガしないに越したことはないのですが、
もしも避けようのないものがあるとすれば
早期に乗り越えるほうが良いということです。


ケガを治療するなかで、
痛みがまだ少し残っているくらいのときに
一度は突き放して動いてもらうことが必要な場合もあります。


痛みの出にくい動き方というのを、
自分で模索してみてもらうことが、
結果としては早道だから。


ケガをしない動きというのは、
実は強い動きであり、
リラックスしていて、
見ていても美しい動きでもあります。

痛みのない動きを見つけ出し、
身につけていくことができれば、
自然とフォームの修正ができている。


そうするとケガをする前よりも強くなっていることになり、
ひいては選手生命をも延ばすことにつながるのです。


せっかく強くなるチャンスがあるのに、
さっさと治してしまってはもったいない。


痛める → 動けなくなる → 休まざるを得なくなる 
→ 治療する → 痛みが引く → 動き始める
→ 再発する → 動けなくなる

この繰り返しになってはいけない。


相手によってはそう考えてしまうこともあるのです。


「怪我の功名」とは、
過ちと思われたようなことが
良い結果をもたらすことを言いますが、
これはなにもケガに限ったことではありません。


病気であっても、
病気になったことがきっかけで
家族と対話することができた、
働き方を考えられた、
自分を見つめなおすことができたと、
「病気になって良かった」
と言われる人もいらっしゃいます。


どんなことでも、
きちんと向き合うことが大切なことで、
そこからどうするかを問われることがあるのです。


大切なのは、自分で考えること。


ケガや病気を治すのは自分自身でしかありません。


誰かの言う"基準"や、
他の人のもたらしてくれた"正解"に自分を合わせるのではなく、
自分の人生の"解"は自分で導き出すしかありません。


お手当てなどは、自分と向き合うための最高の時間とも言えます。


感謝の心とは

「自分にふりかかってくるものすべてが自分の無知や偏見や心の狭さ、
排他性によるものであること、
またそのことに気づかせてくれる目に見えぬ師であることを自覚することから始まります」

と、『魔法のメガネ』(桜沢如一・著)でも述べられています。


偶然に見える必然を大事にする。


何事に対しても感謝する。


そうありたいものですね。


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いまの世の中、
普通に生活していたら病気になりますよ。



日々の鍼療室でも、
また講座のなかでもよくお伝えすることです。


便利な世の中になりました。
おかげで自身が動く必要がこれまで以上になくなっています。


インターネットの普及により、
ほとんどのものを通販で購入して自宅に届けてもらえるようになりました。

このことで外出する必要がなくなりました。

さらに、スマートフォンが進歩したことで、
エアコンやテレビのリモコンとしても使えるようになり、
屋内にいても座ったままであらゆることができるようになったので、
もはや立ち上がる必要すらなくなったのです。


自然という大きな視点から見てみると、
動物の一種である人間が動かなくなるというのは不自然なことです。


これだけいろんなことが便利になると、
自宅で料理をする必要もなくなります。

料理のことを「ブーム」だとか「趣味」だとか言われますが、
これはすでに料理が日常的にするものではなくなったことを物語っています。


歴史的に見ると、
地球上では人間だけが
「火」を扱って料理をすることで
生物としての進化を遂げてきました。

ところが近年になって、
料理という「火」を扱うことがなくなってきたわけです。

生活習慣病をはじめ現代病といわれる病気のほとんどに、
体質的な「冷え」がベースにあります。
手足が冷たい、
体が冷える、
やがては浮腫みが出る、
そして肥満になる。


これらは陰陽論から言えば
すべて〈陰性〉に分類されます。

動くという〈陽性〉な行為から離れ、
火という〈陽性〉な要素から離れていくことで、
体が〈陰性〉に傾いていくというのは、
陰陽で考えれば納得のいくことです。


便利さのおかげで「動かない」という選択をしていくうちに、
病人という「動けない」状態になっていく。


世の中に合わせていくことで自身は陰性化していくのです。


環境に適応していくことがひとつの進化と考えれば、
「普通に生活していたら病気になる」
というのも当然なことかも知れません。


いまの世の中でクスリや医療に頼らずに
自らの自然治癒力を高めて病気を予防していくためには、
当たり前のことが当たり前にできていることが大切です。

とくに、料理という「温かい火」とともにいることで、
身体の温かさだけでなく、
心の温かさも失わずに過ごしていけるのではないでしょうか。


面倒くさいと思うようなことでも、
ちょっと動いてやってみる。

あえて不便な方を選択してみる。

お料理ではもう一手間かけてみる。


そうした「ちょっと」の積み重ねを忘れずにいたいものですね。

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