最近、街中で走る人の姿を見ることが多くなりました。
健康のために運動の習慣が広まるのはとても良いことですね。
東京や大阪といった都市部でも
規模の大きなマラソン大会が開催されるようになり、
フルマラソン42.195kmをゴールするための制限時間が
6-7時間と比較的緩やかな設定ということもあって、
6-7時間と比較的緩やかな設定ということもあって、
市民ランナーと呼ばれる人たちにとっては挑戦しやすくなったようです。
これらの大会ではフルマラソンの完走率が90%を超える好結果を残しています。
それでもフルマラソンに挑戦するからには、
日頃から節制しトレーニングを積んでおく必要があります。
実際に何人ものランナーのコンディショニングのお手伝いをさせてもらっていますが、
本当に感心するほど普段から皆さん走っておられます。
本当に感心するほど普段から皆さん走っておられます。
さて、歴史を遡ってみますと、
日本人の走力について面白い記述があります。
明治時代の初期に来日したドイツ人医師のベルツが、
東京から日光まで人力車で行ったときのエピソード。
距離にして約110kmを、
14時間半で行ってしまったといいます。
フルマラソンの距離に単純換算すれば
だいたい5時間半ほどのペースで、
その3倍近い距離を走っている。
しかも人力車を引きながら、
たった一人で、
ほぼ休むことなく走り続けたというのは驚異的なことです。
たった一人で、
ほぼ休むことなく走り続けたというのは驚異的なことです。
驚いたベルツが、車夫に食事の内容を尋ねました。
「玄米おにぎりに、切干大根、梅干・沢庵」
という質素なもの。
西洋の感覚からするとかなりの粗食と感じたのでしょう。
この後、ベルツは車夫を雇い、
自分の栄養知識から
豪華な肉食を与えながら走らせる実験をしてみました。
なんと、その車夫は、3日後には走れなくなってしまいます。
そして、元の食事に戻してほしいと申し出られ、
素食に戻してみたらまた走れるようになったというのです。
素食に戻してみたらまた走れるようになったというのです。
日本人には日本食が合うことを確信した、と、
ベルツの日記は結ばれています。
江戸時代は、鎖国によって自給率は100%。
にもかかわらず当時の日本人口は3,000万人。
その世界人口の6%に相当します。
その世界人口の6%に相当します。
現在の日本は世界の2%弱の人口で
自給率が50%を切っていることを考えれば、
日本の温暖な気候が作物の生育に適していること、
当時の食糧の生産技術が高かったことがうかがえます。
戦後70年間で日本の食は急速な変化を遂げました。
「米を食うとバカになる」と言われ、
パン給食の始まりとともに、
「タンパク質が足りない」
「カルシウムが不足」
と、肉・卵・牛乳・乳製品といった動物性食品が増えました。
「カルシウムが不足」
と、肉・卵・牛乳・乳製品といった動物性食品が増えました。
1960年代をピークに米の消費量は減少、
その後は減反による米の生産調整が始まり、
米離れが一層進みました。
ちょうどその頃に生まれた世代が40歳から50歳代の働き盛りを迎えたいま、
メタボリック症候群に悩み糖質制限でさらに米食から離れていく。
メタボリック症候群に悩み糖質制限でさらに米食から離れていく。
どうやら、戦後の70年間の2倍、
140年前の明治初期にまで遡らないことには
ことの本質は見えてこないようです。
日本人の走力のルーツである米食の大切さに想いを馳せてみませんか。