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2012年5月アーカイブ

基本となる動きについて


どんなことにも「基本」があります。

体の使い方、動かし方にも「基本」があります。


鍼療室で、何らかの痛みを抱えてこられた方がいて、
再発予防のために、お話することがあります。

まずは、座っている姿勢について。

そして、立つときの姿勢について。

それから、歩くときの姿勢について。

こういう順番で進んでいきます。


これらはすべて「基本」です。


主婦だろうが、
サラリーマンだろうが、
肉体労働していようが、

ランナーだろうが、
格闘家だろうが、
ゴルファーだろうが、

関係ありません。


なぜならば、「基本」だからです。
 

いま流行りの、なんとかトレーニングとか、
誰でも痩せる、ほにゃらら体操とか、
結果の出る、なんちゃらストレッチとか、

なかには素晴らしいトレーニング法もあります。

だけど、めったなことでは教えません。

これらのトレーニングよりも、「基本」を重視します。


なぜか?


姿勢の悪いままで、ほにゃらら体操をすれば、
腰痛になります。

カバンを持つ手の癖が直らないまま、なんとかトレーニングをすれば、
膝が痛くなるか、
寝違いを起こします。

よくなるどころか、
かえって悪くなります。

体が余計に捻じれるからです。

ますます歪みが生じます。

基本となる姿勢が出来ていないからです。


基本さえ出来ていれば、
体は勝手に歪みを修正していく力を備えています。


その力を信じているから、
特別なものは必要ないのです。


基本がしっかりできていれば大丈夫です。


ありがとうございます。

 


 

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鍼灸治療を、市町村が助成してくれるということ、ご存知ですか?

ときどきご存じなくて、こちらからお伝えしているので、
ここでお知らせしておきます。


明石市では高齢者の健康保持増進のために、はり・きゅう・マッサージ施術費の一部を助成しています。

対象となる方は、満70歳以上の明石市民です。


一回の治療につき\1,000の助成券が、4枚綴りになっています。


申請しないともらえないので、ご本人ご家族で70歳以上の方は、
せっかくの制度なので、活用してくださいね。

申請先は、明石市(福祉部 高年介護室)です。
http://www.city.akashi.lg.jp/fukushi/f_kounen_ka/g3_f_kourei/ippan.html


当院では、
明石市の助成券が使えるだけでなく、
加古川市、加古郡稲美町の助成券も受付けています。


詳しくは、お尋ねください。

 

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麦などの秋に撒いた穀物に穂がつく頃。

自然界のものが成長し、小さく満ちてくる頃であり、
農耕が生活の糧として主の時代、収穫が見込めそうだと一安心(小さく満足)できたという意味ですね。

今年は「小満」に入る日が、ちょうど「金環日蝕」です。

いま一度、大自然の偉大さを知るとき。

節電の夏に向かい、「暑いのでは?」と不安になるよりも、
季節があることに感謝する。

お花が咲くことを喜び、
木々の緑の美しさに感動し、
吹き渡る風の心地よさを感じとり、
季節の食べ物に旬を感じながらいただく。

生かしていただいていることに、
小さな喜びを見出すことが幸せの秘訣となるときにきているのかも知れませんね。

ありがとうございます。

 

 

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マクロな治療院 Part Ⅱ


圭鍼灸院は、「マクロな治療院」を標榜しております。

なので、日常生活におけるアドバイスなどでは、マクロビオティックの考えを基本としています。


ときどき「玄米菜食でないので、先生に叱られる」という患者さまが見えられます。

「玄米菜食でないこと」を理由に叱ったことなど、一度もありません。

 

最初から玄米菜食が出来ていれば、そんな病気にはならないでしょう。

人間、そんなに強いものではありません。

出来ないから病気にもなるのであって、
そのおかげで出会わせていただいたことに感謝しているくらいです。


もちろん、抱えておられる症状・病気によっては、
食事の内容までお話することはあります。

ただし、現実的に実践が可能なものでなければ意味がありません。


食事らしい食事が出来ていない人に、
いきなり「玄米菜食」を押し付けても、無理があります。


「まずは1日に1回でいい、ご飯(お米)は食べられないかな?」

「夕食で味噌汁は飲めないかな?」

日々のアドバイスで多いのは、いわばこういう当たり前なことです。


「とにかく『いただきます』って手を合わせよう」からスタートしたこともあります。

小さな実践が出来ない人に、
大きな理想を唱えても難しいものなのです。


「ケーキは止められないかな?」

これだって、「絶対」なものではありません。

極端なたとえ話をすれば、友人から料理教室のヘルプを頼まれていて、
そのための試食会が明日にあるとします。

その試食会の場で「先生から止められているから」と断れば、
友人との人間関係がギクシャクします。

これは、こちらの本意ではありません。

「今は胃の調子が良くないから、できたらクリームは少なめにしといて」

これなら言えるかも知れません。

そして、クリームを控えめにしてもらっても、やっぱり調子が悪くなったら、
そのときはまた治療を受けに来てもらえればいいのです。
そのときだけは、来院いただく回数を増やせば、それでいいのだと思います。

治療やアドバイスといったものが、
その人にとっての人生を豊かなものにするのでなければ、なんの意味もないのです。


マクロビオティックとは、大きな生命観です。

玄米菜食も大切なことではありますが、
そこにだけこだわって執着してしまうと、
それは、もはや、ミクロビオティック。


「こうでなければならない」は、もはやいらない。

でも「こうであるほうがいいよね」は、あるかも知れない。

マクロビオティックの正論を押し付けるものではなく、
そのとき、その状況、その人にとっての、出来得る範囲のことと、
病気の進行や治癒とのバランスを考える。

そのくらいの「ゆとり」があるからこそ、
マクロな治療院の姿となる。


そう考えています。


ありがとうございます。

 

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健康情報の見極め方について。

情報の多い現代。
様々な、健康に関する情報で溢れています。

しかし、よほど注意をしないと情報に振り回されてしまうのも事実。

そんな中において、何を基準に考えれば良いのか。

本当にお役に立てる、情報の見極め方についてお話させていただきます。

 

http://www.macrobiotic.gr.jp/seminar/kisokouza_stage2/index.html

 

今回からは、一回ごとのお申込みもできるようになりました。

 

 

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暦では「夏」が始まります。


実際には6月に入ってからが本格的に気温が上昇していとはいえ、夏の準備に入る時期が来たよ、という頃です。

木々は青々と繁り、草花も成長していきます。

晴天で気持ちの良い風の吹く頃ですね。

 

これから始まる「夏」は、「熱」の季節。


上手に熱を発散させていくことです。

ゆったりと動きながら、少しずつ「汗」を出していくことに
身体が慣れていくことが必要ですね。

 

 

気候に感謝。

 

ありがとうございます。

 

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「奇跡のリンゴ」「リンゴが教えてくれたこと」などの著作で有名な、
青森県の自然栽培リンゴ農家の、木村秋則さん。

木村秋則さんの講演が
5月5日(土・祝)に大阪府松原市天美の池内記念会館にて行なわれます。

講演会の後半では「自然栽培がなぜ地球を救うのか」と題して、
パネルディスカッションの予定になっています。

そして、そこにパネラーとして、私がゲスト出演させていただくことになりました。


これまでに木村さんの著作は読ませていただきました。

「自然界には何一つ無意味なもの、邪魔なものなどない」
「自然のなかで生かされている生き物だ」
そう感じられて、自然の生態を見ていって、
初の無農薬無肥料のリンゴ栽培に成功され、

現在は国内・海外を問わず、農業指導をしておられます。


これは、私が治療の現場にいて感じることと共通することがあります。
いろいろと考えすぎて不必要なことをしてしまっているのではないか。
本来、体は治りたがっている、その自然治癒力を発揮させるにはどうすればいいか。

本質的には、同じ結論にたどり着いているように思います。


当日は、どんなコラボレーションになるのか、とても楽しみにしています。


木村さんの講演は14時から、
パネルディスカッションは15時からの予定です。

 

ありがとうございます。

 

 

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圭鍼灸院は、「マクロな治療院」を標榜しております。

院長である僕自身が、マクロビオティック関連のセミナー講師などもさせていただいてますし、
日々の治療、養生指導、カウンセリングなども、基本の軸としてマクロビオティックの考え方があります。


「やっぱり玄米菜食でないとダメですか?」などと尋ねられることもありますが、
あまり真正面からお答えすることはないです。

玄米菜食は、マクロビオティックを実践していく上で大切なことではありますが、
マクロビオティックそのものではありません。

玄米菜食はマクロビオティックの重要な一部であって、マクロビオティック全体を表すものではないのです。


マクロビオティックとは、Macro(大きい、全体)、Bio(生命)、Tic(学・術)の言葉通り、
「大きな生命観でもって生活すること」です。

玄米菜食のみならず、特定の部分だけにとらわれてしまうと、
全体が見えなくなってしまうものなのです。


そのことを理解するために、あえて「食」とは違う話をしてみます。

 

ある患者さまとの会話を思い出します。


腰から背中にかけての強い痛みで夜も眠れないほどの症状を持ってらっしゃいました。

病院を転々としてこられてきました。
レントゲンもMRIも、血液検査も「異常なし」だそうです。

でも、「痛い」んです。
夜も眠れないほどに。


そして、ある院での先生との会話の内容を話されました。

「もう、とにかく、安静・休息しかない。休みなさい」

「休め、と言われても、そんなにずっと休んでたら仕事、クビになります。無理です」

「いや、そんなことはないだろう」

「いいえ、そんなことあります! クビになったら、どないして生活するんですか?」

「あんた、貯金だってあるでしょう」

「......」

こんな内容でした。


そして、「先生も同じこと、言いますのか?」と。

 

いいえ、そんなことは申しません。

とにかく「今ある痛み」が和らぐよう、最善の治療はします。

痛みの出ない(出にくい)動き方は、一緒に考えます。

お仕事を続けながら治療も出来るよう、ベターな方法は考えます。

例えば、「週に一日でいいから、朝に治療に来られて、仕事に遅れて行くことは可能ですか?」と。

その枠のなかで何が出来るのかを最大限に考えることが治療者の役割だと思っています。


結局は、その後まったく痛みはなくなって、治療を終えました。

「あれは、なんだったんだろうな~」って笑っておられました。

 

「痛み」はもちろん、その人の一部ですが、すべてではありません。
ましてや、多くの人にとっては「仕事」の方が、よりウェイトの大きなものであると思います。

「痛み」のために犠牲にするものが多いというのは、
その人にとって「痛みさえなくなれば、残りの人生のことはどうでもいい」ということになります。

命に関わる病気など余程の状態のケースを除いては、
それでは本当の治療とは言えません。

すべてを「全体」の中から考える必要がある。
その「視点」がマクロビオティック的な治療院に必要なもの。

そのように考えています。

 

ありがとうございます。

 

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