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2013年2月アーカイブ

 

春の陽気が強くなってきて、
空から降ってくるのが、雪から雨に変わり、
暖かさで氷は溶けて水になる、という季節に入りました。

厳しい寒さが和らいでくる季節ですね。

外気の寒さは和らいでも、
体の内側の冷えには、油断は禁物です。

まだまだ体は温かくするに越したことはありません。

とくに、下半身を冷やさないことが大切です。

この時期に下半身を冷やすと、
春の陽気が上半身に集まり、
のぼせやすくなります。

この状態が続くことが、花粉症の原因の一つにもなるので、
注意したいですね。

暖かい春は、もうすぐです。

 

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スポーツと食についての相談を受けました。

一般的(なはず)だけど、実は意外に知られていないことのようなので、
ここにも記しておきます。

スポーツ選手、アスリートのコンディショニングにとって、
本番でピークの力を発揮するためには、やはり食とのかかわりが出てきます。

その代表的なものに、

カーボローディングといって、炭水化物を積極的に摂りこむことがあります。

クロスカントリー、マラソン、トライアスロン、あとは自転車のロードレースなどの
エンデューロ(耐久)系競技のアスリートがとくに大会前に行うものです。

試合時間が長いテニスやバレーボール、あとボクシングなどでも同じで、
試合直前はおにぎりという人も多いですね。


このカーボローディング、一時期流行ったスタイルは、
試合の1週間前になると、エネルギー源となる等質・炭水化物を控えて、
パワーの源であるタンパク質をせっせと摂るというものでした。
そして、体内の糖質を徹底的に枯渇させておいて、
試合の2日前くらいからは一気に炭水化物・糖質を摂る。

これで体内にエネルギー源の糖質が通常以上に体内に蓄えられると考えられたんですね。


ところが、このスタイルは最近ではほとんど行われなくなっています。
疲労が残りやすく、また肉離れなどの故障が続いたからなのです。

なので、「古典的スタイル」と呼ばれているようです。


最近の主流は、普通に食事をしておいて、
試合の数日前から炭水化物ばかりの食事にするというもの。
ごはん、麺、パンが主体となります。

その間のメニューの例としては「かやくごはん・うどんセット」みたいなものですね。
そして試合当日は、おにぎり、と。

「古典的」に対して「改良型」と呼ばれるのだとか。


でも、これって、本当に改良型?
むしろ、こちらのほうが古典に戻ったような気がします。

どちらが「古典」か「改良」か、ようわからん。


いっそ、「不自然派」から「自然派」に戻っただけとでも言えばいいものを。


ヒトという動物の特性、日本人の体質というものを考えたときに、
炭水化物を控えるなんてことは、不自然なわけです。

現に、それで故障者が続出して廃れていった方法なんですから。


肉食の欧米人でも、長いこと現役を続けているアスリートなどは、
「普段からパスタとサラダ。それ以外はほとんど食べない」って人が多いのです。


わたしたちは、「がんばって、精つけときや~」なんて言いますが、
その「精」は、「米」と「青物」と書きます。

つまり、米と野菜が元気を養うということですね。

先人の知恵に感謝します。

 


 

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日々、鍼療にあたっていて、糖尿病や高血圧など生活習慣病のクスリを長期的に服用しておられる患者さんが多いことに今更ながら驚いています。

クスリを真っ向から否定するつもりはありません。
必要な場合に、必要な期間、必要な量を飲むことに関して、それは有効な治療の手段となることでしょう。


ただ、これらの生活習慣病については、いかがなものでしょう。

生活習慣病とは、文字通り、日常の良くない生活習慣の積み重ねによって引き起こされる病気のことを言います。
原因がはっきりと生活習慣にあると分かっているのですから、そこの改めるべきところを改めることが根本治療になります。

そういう意味では、本来は、糖尿病(生活習慣の影響である2型糖尿病)や高血圧(原因の分からない本態性高血圧)などは、まずは食事をはじめとした生活習慣を見直し、あらためていくべきでしょう。
それでも改善の見られない場合に、並行してクスリを用いることもあるかも知れません。
そういうものでしょう。

もちろん、例えば、高血圧で頭痛や吐き気、ふらふらするなどの明らかな自覚症状のあるものは、クスリがすぐに必要でしょう。


ただし、対症療法的にクスリのチカラで数値をコントロールしても、治ったことにはなりません。

それはクスリが「効いて」いるだけであって、「治って」いることではないのです。

だからといって、いきなり「クスリを止めなさい」と言うつもりはありません。


野菜を多く食べるようにして、肉食を控え、砂糖を避けていったり、洋食から和食にしていくなど、食事の工夫をしていったり、
定期的に運動をするようにしたり、
モノの考え方を前向きに捉えるようにしていくことが根本治療になります。

そして、これらの根本治療に真面目に取り組んでいくことができれば、やがてクスリは必要なくなるものです。


「効く」けれども「治らない」クスリを、安易な気持ちで服用し始めて、年単位の長期にわたって飲み続けることは、自己の持つ自然治癒力を損なうだけでなく、ますますクスリへの依存を強くするだけです。
こうしたクスリの副作用は、すべてのクスリにもれなくついてくるものです。

だから、「クスリ」は逆さまから読むと、「リスク」となるのです。
使い方によっては危険ですらあるということですね。


くどいようですが、クスリを止めようと言っているのではありません。
止めるかどうかの判断は、そのクスリを処方した主治医がすることですから。

決して自己判断で突然止めるようなことはしないでください。

ただ、根本治療に取り組む人が増えてくれればと願うのです。


ちなみに「副作用が少なそうだから」と漢方の処方を受けたり、鍼灸の治療を受けてもらったとしても、
生活習慣病に関しては、ご本人が根本治療に取り組むべきということに変わりはありません。

もちろん、治療の手段によって、
効く度合い、治る度合い、副作用の度合いは異なるのでしょうが。

あくまでも病気や症状というのは「結果」であって、「原因」が変わらない限りは、
遅かれ早かれ同じ「結果」が導き出されます。


一人でも多くの人が、一日も早く、このことに気づいて欲しいと思います。

そして、本当の意味での健康で元気な人が増えていくことを願うばかりです。

 

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暦の上では春の始まりです。

冬至と春分のちょうど中間にあたるこの時期が寒さも底となります。
まだまだ寒い日はあるものの、自然環境は着実に春へと向かい始めています

東洋医学では、冬は「腎」、春は「肝」の季節。

春になって出てくる、のぼせ・肩こり・頭痛・花粉症などは「肝」から。
そういった症状を予防する意味でも、いまのうちに「腎」を整えておくことが大切です。


食べ物で言えば、「小豆昆布」など小豆の力で腎を掃除し、
「ひじき蓮根」など海藻で血管を丈夫にしていくとよいでしょう。

また、散歩など少しずつは外に出て外気に当たることで、気を巡らせていきましょう。


 

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このページではこれまでに、東洋医学やマクロビオティックを中心とした情報をお伝えしてきましたが、
もう少し視野を拡げた「医療」についてのお話もしていきたいと思っています。


鍼灸、東洋医学(漢方も含めて)は、「代替医療」と位置づけられています。

代替医療は専門的には、
「補完代替医療」(CAM:Complementary and Alternative Medicine) といって、

ほかに「統合医療」(Integrative Medicine)という言い方もします。

これらは、いわば「始めに西洋医学ありき」の、足し算の考え方になのですが、

ホリスティック医療(あるいはホリスティック医学、Holistic Medicine)というときには、
「始めに全体ありき」というスタンスをとるところに特徴があるのです。


ホリスティック(Holistic)という言葉は、
ギリシャ語のHolos(全体性)を語源として、
英語のWhole(全体)や、Health(健康)、Heal(癒し)なども含みます。


ちなみに、WHO(世界保健機関)では、
Health(健康)について、次のように定義されてきました。

Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

健康とは、たんに病気や疾患でないとか、弱っていないということではなく、
肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、
すべてが幸福で満たされた状態にあること。(訳:圭)


さらに1998年には、この定義を見直して、

Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.

dynamic(動的)という言葉が加わったことで、
健康とは静的に固定した状態ではなく、健康と病が別々のものでなく連続したものであるという意味になります。

また、spiritual(霊的・精神的)でもあるということで、人間の尊厳や生活の質そのものを考えるために本質的なものを見つめるようになったと言えるでしょう。

 

目には見えないものの力も認めざるを得なくなったということもできますね。

 


ご存知でしたか。


健康というものを、
病気というものを、

いま一度、見つめなおしてみるきっかけになればと思います。

 

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