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マクロビオティックと言っても

マクロな治療院 Part Ⅱ


圭鍼灸院は、「マクロな治療院」を標榜しております。

なので、日常生活におけるアドバイスなどでは、マクロビオティックの考えを基本としています。


ときどき「玄米菜食でないので、先生に叱られる」という患者さまが見えられます。

「玄米菜食でないこと」を理由に叱ったことなど、一度もありません。

 

最初から玄米菜食が出来ていれば、そんな病気にはならないでしょう。

人間、そんなに強いものではありません。

出来ないから病気にもなるのであって、
そのおかげで出会わせていただいたことに感謝しているくらいです。


もちろん、抱えておられる症状・病気によっては、
食事の内容までお話することはあります。

ただし、現実的に実践が可能なものでなければ意味がありません。


食事らしい食事が出来ていない人に、
いきなり「玄米菜食」を押し付けても、無理があります。


「まずは1日に1回でいい、ご飯(お米)は食べられないかな?」

「夕食で味噌汁は飲めないかな?」

日々のアドバイスで多いのは、いわばこういう当たり前なことです。


「とにかく『いただきます』って手を合わせよう」からスタートしたこともあります。

小さな実践が出来ない人に、
大きな理想を唱えても難しいものなのです。


「ケーキは止められないかな?」

これだって、「絶対」なものではありません。

極端なたとえ話をすれば、友人から料理教室のヘルプを頼まれていて、
そのための試食会が明日にあるとします。

その試食会の場で「先生から止められているから」と断れば、
友人との人間関係がギクシャクします。

これは、こちらの本意ではありません。

「今は胃の調子が良くないから、できたらクリームは少なめにしといて」

これなら言えるかも知れません。

そして、クリームを控えめにしてもらっても、やっぱり調子が悪くなったら、
そのときはまた治療を受けに来てもらえればいいのです。
そのときだけは、来院いただく回数を増やせば、それでいいのだと思います。

治療やアドバイスといったものが、
その人にとっての人生を豊かなものにするのでなければ、なんの意味もないのです。


マクロビオティックとは、大きな生命観です。

玄米菜食も大切なことではありますが、
そこにだけこだわって執着してしまうと、
それは、もはや、ミクロビオティック。


「こうでなければならない」は、もはやいらない。

でも「こうであるほうがいいよね」は、あるかも知れない。

マクロビオティックの正論を押し付けるものではなく、
そのとき、その状況、その人にとっての、出来得る範囲のことと、
病気の進行や治癒とのバランスを考える。

そのくらいの「ゆとり」があるからこそ、
マクロな治療院の姿となる。


そう考えています。


ありがとうございます。

 

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