ここ数日、雨が続いている。
院の前はタイル貼りなので、雨で滑って転んではいけないから、
拭き掃除でもしておこう。
今日は、夏至。
一年中で最も昼間の時間が長いときだというのに、
雨が降ってると、なんだかもったいないような気がする。
夏至といえば、キャンドルナイトか...。
今年はあまり話題に上らないようだ。
「ふぁ~っ」
誰やねん?
朝から大きなあくびして...
ど、どこのオッサンかと思えば、
喋る犬の、伝次郎...。
「よう降るなぁ」
ビショビショやないですか。
「そら仕方ないわ」
こいつ、やっぱり野良犬か?
「ちゃうっちゅうてんねん!!
ブルブル。
ほんで、今日は?」
いや、別にこっちから呼んだわけではないねんけど。
しかも震えてるし・・・
「ええから!
今日は何の日や?って聞いてんねん」
今日は夏至というて、最も明るい日ですけど。
「そやなぁ~
で、自分はどないすんのん?」
昨年は、自宅で家族とキャンドルナイトしたんですけどね、
今年はどないしよかな~、と思ってますねん。
「なんでや?」
いやぁ、キャンドルナイトもね、
あんなんどこがエコやねん?とか批判してる人たちいてるでしょ。
「へぇ~、そやからって、せえへんのか?」
それを、どうなんかな?と思ってたんですけどね。
「ほな、聞くけど、
自分は、何のためにキャンドルナイトしようと思うんや?」
うーん、たまには電気を消した生活してみるのも悪くないかな、と思うから。
「ほほう、なるほど」
昨年、我が家でやったときにはね、最後に
『いつもは電気さん、ありがとう』って子どもたちと言い合ったんです。
「ええことやん。
それって、つまり?」
つまりは、いつもは当たり前にあるものも、
一旦はそれを手放してみて、当たり前やないねんでって見直すきっかけ、みたいな。
「自分、なかなかええセンスしてるな。
そういうことやがな。
別に、エコがどうとか、大義名分なんてどうでもええんちゃう?」
はい、あくまでも、当たり前に生活してることに感謝するための手段かな。
「ほな、やったらええやん?」
そうですね、そうしますわ。
「あのな、ひとつだけ聞くで」
ええ、どうぞ。
「理屈と行動、どっちが大事かわかるか?」
やっぱり、行動ですかね。
「そやろ!
理屈なんてどうでもええねん。
批判なんてどうでもええねん。
そんなもん結局は、本当は自分で何もやりたくないやつの逃げに過ぎんのとちがうか?」
そうなんかも知れませんね。
結局は、自分がどうしたいか、どうするか。
「そや!やろうと思うなら、やったらええねん。
それだけのことや」
自分がどうしたいのか。
それが自由ってことなのか...。
伝次郎こそ、究極の自由人、
いや『犬』だ。
そう思ったときには、すでにいなくなっていた。