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タオ・マクロビオティックの最近のブログ記事


これまでに、ご来院・治療を受けていただいたことのある方は
おわかりだと思いますが、
"脈診"をとても重視しています。
 

脈診とは、
患者さんの手首の橈骨動脈に触れることで、
拍動の強さや速さ、リズムなどを把握することで、
身体の状態を診察する方法のこと。

健康状態であったり、
疾病の進行度合いなどを、
脈に触れてみて、
その拍動の強さや早さ、
脈に触れた感じの硬さや太さ、
脈の位置の浮き沈みなどから把握しようとします。
 
 

人に出逢ったときに、
まずはその人の表情を見ますよね。
 

それと同じように、
脈の"表情"を診ているのです。
 

治療に入る前の脈診はもちろんですが、

治療・施術の最中にも、
ひっきりなしと言っていいくらいに、
手首の脈に触れさせていただいています。
 
 

これは、刻一刻と変化していく
お身体の状態を把握するため。
 

例えば、想像してみてください。
 

テレビドラマなどでの手術のシーン。

心拍数から呼吸から、
身体の状態をいち早く知らせるように
ありとあらゆる装置につながれています。
 

治療室にはそんな大そうな装置はありませんから、
治療の適否に関しては、

「痛い」とか

「気分悪くなってきた」とか

「心地いい」とか

患者さんの発する言葉に頼らざるを得ません。
 


それを、治療者の側から把握することが
脈診ということです。
 

脈診なしでの治療では、
患者さんの状態を把握できないので、
こちらがとても不安になります。
 
 

そんなわけで、
遠方から来院されていて、継続治療が困難な場合、
または遠方へ引っ越される場合など、
地元で治療院を探される場合には、
きちんと脈診をしてくれる治療院を探して、と、
お伝えするのです。
 

逆には、
以前に通っていた治療院の先生からそのように言われて、
これまで何年もかけて探してきて、
やっと脈診をしてくれるところに出逢えた、
と、喜んでくださる方もいらっしゃいます。


そんな脈診、

治療院選びのヒントにしてみてください。


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病を治すために、
あるいは、健康になるために、
どんなことをしなければならないでしょうか?

健康でいるために、
私たちは、なにをしなければならないでしょうか?


さて、いかがでしょう?


本当は、

なにもしなくていい。



何もしなくていいというと、
大げさに聞こえるかも知れませんね。


古代ギリシアの医者であるヒポクラテス。

医聖とも医学の父とも呼ばれます。

そのヒポクラテスの遺した言葉に、
こんなものがあります。


「私たちの内にある自然治癒力こそ、
 真に病を治すものである。」

「人間は誰でも体の中に百人の名医を持っている。」


誰にも自然治癒力が備わっている。

病を治すのは、その自然治癒力。


極端なことを言えば、
ほっといても、
治るときが来たら、治る。


そう考えれば、
なにかしなきゃ...、って考えることは、
自分の持つ自然治癒力に対して、
失礼な態度ということにもなる。

自分で自分を信じれないって、
こういうこともあるのかも知れませんね。


ただし、いまの生活のなかに歪みがあるとすると、
そうはいかないかも。

だとしたら、
そこはまず取り除かないとね。


では、そのために、
なにが必要かということになるわけですが。


自然治癒力、って言うくらいですから、

自然体でいることかな。


自然体でいることは、
健康体でいるための必要条件。


だからまずは、
不自然なことをやめてみることですね。



最後に、ヒポクラテスの言葉をもう一つ。


「医師が病を治すのではなく、
 身体が病を治す。」




医療者は、あまりしゃしゃり出ずに、
患者さんの身体を信じてあげることですね。


 
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料理のことは、
「理(り)」を「料(はか)る」と書きます。

これは、日々の生活というのは、
宇宙の秩序に則った生き方をするものと表現しています。


食養料理では「一物全体」といって、
食材は丸ごと使うという教えがあります。

このことから、お米では精白せず、
野菜では皮も剥かずアクも抜かない料理法があります。

自然にあるがままの状態というのが
本来のバランスが最も取れている状態ということが言えるので、

できるだけそのままでいただくことが、
体にとってもバランスよく望ましいとする考え方です。


また、普段は捨てられてしまうような部分をも、
きちんと活かして素材のもつ本来の味を引き出せるのです。


きんぴらごぼうのような自然な甘味は、
ごぼうを全体として使ったうえで
微妙な火加減・塩加減で出せるものでしょう。


捨てるところにこそ本当に大切なものがあるとも言えます。

皮を剥きアクを抜き
無駄だと捨てるところの多い料理では、
何を食べても同じ味になってしまいかねません。


かつて、いつ・どこの店舗で食べても
同じ味であるという安心感がはやった時期がありました。

でもやがては飽きられていったように、
画一化された味というのに安心感はあるものの
面白さに欠けるということもあるのでしょう。


全体を活かして微妙に加減していくというのは、
人間関係や子育てにおいても同じこと。 

「アクが抜けた人」とは、
変な癖がなくなり磨かれた人のことを言いますが、
抜け過ぎると個性のない面白味の人となります。

「アクの強い」といわれるような個性の持ち主にとっては、
短所があるからこそ長所が活きてくるのです。


昨今のメディアを見ていると、
ほんの少し人と違う言動をしたことで叩かれる風潮にあります。


今後その傾向が強くなれば、
皆が枠にはめられたように同じことを言い
同じことをする面白味のない社会になるだけでなく、
個性が徹底的に排除されてしまうかもしれません。


社会を全体として見れば、
反対する意見や変わった行動があって
はじめて成り立つものです。


食材にとっての捨ててしまう部分、
人間にとってのなくしたい短所であっても、
やはり全体としてひとつのイノチ。

どこが欠けてもイノチは成り立ちません。


すべてにおいてマイナスに見えることにも意味があり、
それの捉え方ひとつでいかようにも変わるのです。


アクは「悪」ではない。
大切な構成要素。

それが欠けると成り立たないものでもあるのです。



一物全体とは、
すべてを包み込む優しさがあって言えることなのですね。


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