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タオ・マクロビオティックの最近のブログ記事


病を治すために、
あるいは、健康になるために、
どんなことをしなければならないでしょうか?

健康でいるために、
私たちは、なにをしなければならないでしょうか?


さて、いかがでしょう?


本当は、

なにもしなくていい。



何もしなくていいというと、
大げさに聞こえるかも知れませんね。


古代ギリシアの医者であるヒポクラテス。

医聖とも医学の父とも呼ばれます。

そのヒポクラテスの遺した言葉に、
こんなものがあります。


「私たちの内にある自然治癒力こそ、
 真に病を治すものである。」

「人間は誰でも体の中に百人の名医を持っている。」


誰にも自然治癒力が備わっている。

病を治すのは、その自然治癒力。


極端なことを言えば、
ほっといても、
治るときが来たら、治る。


そう考えれば、
なにかしなきゃ...、って考えることは、
自分の持つ自然治癒力に対して、
失礼な態度ということにもなる。

自分で自分を信じれないって、
こういうこともあるのかも知れませんね。


ただし、いまの生活のなかに歪みがあるとすると、
そうはいかないかも。

だとしたら、
そこはまず取り除かないとね。


では、そのために、
なにが必要かということになるわけですが。


自然治癒力、って言うくらいですから、

自然体でいることかな。


自然体でいることは、
健康体でいるための必要条件。


だからまずは、
不自然なことをやめてみることですね。



最後に、ヒポクラテスの言葉をもう一つ。


「医師が病を治すのではなく、
 身体が病を治す。」




医療者は、あまりしゃしゃり出ずに、
患者さんの身体を信じてあげることですね。


 
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料理のことは、
「理(り)」を「料(はか)る」と書きます。

これは、日々の生活というのは、
宇宙の秩序に則った生き方をするものと表現しています。


食養料理では「一物全体」といって、
食材は丸ごと使うという教えがあります。

このことから、お米では精白せず、
野菜では皮も剥かずアクも抜かない料理法があります。

自然にあるがままの状態というのが
本来のバランスが最も取れている状態ということが言えるので、

できるだけそのままでいただくことが、
体にとってもバランスよく望ましいとする考え方です。


また、普段は捨てられてしまうような部分をも、
きちんと活かして素材のもつ本来の味を引き出せるのです。


きんぴらごぼうのような自然な甘味は、
ごぼうを全体として使ったうえで
微妙な火加減・塩加減で出せるものでしょう。


捨てるところにこそ本当に大切なものがあるとも言えます。

皮を剥きアクを抜き
無駄だと捨てるところの多い料理では、
何を食べても同じ味になってしまいかねません。


かつて、いつ・どこの店舗で食べても
同じ味であるという安心感がはやった時期がありました。

でもやがては飽きられていったように、
画一化された味というのに安心感はあるものの
面白さに欠けるということもあるのでしょう。


全体を活かして微妙に加減していくというのは、
人間関係や子育てにおいても同じこと。 

「アクが抜けた人」とは、
変な癖がなくなり磨かれた人のことを言いますが、
抜け過ぎると個性のない面白味の人となります。

「アクの強い」といわれるような個性の持ち主にとっては、
短所があるからこそ長所が活きてくるのです。


昨今のメディアを見ていると、
ほんの少し人と違う言動をしたことで叩かれる風潮にあります。


今後その傾向が強くなれば、
皆が枠にはめられたように同じことを言い
同じことをする面白味のない社会になるだけでなく、
個性が徹底的に排除されてしまうかもしれません。


社会を全体として見れば、
反対する意見や変わった行動があって
はじめて成り立つものです。


食材にとっての捨ててしまう部分、
人間にとってのなくしたい短所であっても、
やはり全体としてひとつのイノチ。

どこが欠けてもイノチは成り立ちません。


すべてにおいてマイナスに見えることにも意味があり、
それの捉え方ひとつでいかようにも変わるのです。


アクは「悪」ではない。
大切な構成要素。

それが欠けると成り立たないものでもあるのです。



一物全体とは、
すべてを包み込む優しさがあって言えることなのですね。


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鍼灸治療院ですから、日々痛みの症状を訴える患者さんが来られます。

治療後には、自宅でできるケアとして温めることを伝えることが多いのですが、
たいてい驚かれますね。

それだけ痛みには冷やすことが必要だと思い込まされてきているのでしょう。


痛みには、温める。


これは基本です。

腰痛だろうが、神経痛だろうが、
五十肩だろうが、膝痛だろうが、
関節リウマチでも、腱鞘炎でも、
捻挫や肉離れでも、
どんな痛みにも共通することです。


もちろん初期・急性期の痛みでは冷やすことは必要ですが、
最初の数日を過ぎればいつまでも冷やすものではありません。

また動かして痛いのにむやみに動かすことは良くありませんが、
かといっていつまでも動かさずにいると余計に悪化してしまいます。

痛みを我慢してまで動かせなどという精神論を言っているのではなく、
急性期を過ぎれば、動かすことはリハビリのみならず、
動くこと自体が治療につながるからです。


迷ったときには、まず温めること。

答えは身体が教えてくれます。

もしもまだ温めるべきではないような炎症が起こっていれば、
もっと痛んで、疼きます。

そのときは、まだ温めるには早かったのかと、
冷やすことに切り替えればいいのです。


一方で、いつまでも冷やして冷やしすぎたとき、
身体は教えてはくれません。

冷やすことは受け入れられます。

なぜならば、
生きていること自体、
すでに36.5℃のプラスマイナスの範囲内で
「熱」を持っているからです。


なんでもかんでも冷やすというのは、
この「体温」という根本の存在を忘れています。


体温という「熱」があるから、
別に炎症を起こしていなくても、冷やすことは受け入れてしまうのです。

余計に痛くなる、疼くというような「拒否反応」は示してくれません。
そのせいで、いつまでも冷やし続けて、
「治らない」と言っていることが多いのです。

 
まず大切なこととして、自分の感覚を信じることです。


どんなに冷やしても痛みがひかない場合に限って、
入浴した後は痛みが楽になっていたりするもの。

これは温める方が回復につながることを、
身体が教えてくれている良い例でしょう。


素直な気持ちで、
自分が「心地いい」と感じることを優先していけばいいのです。
 

それから、温める方法としての基本は、
「物理的刺激」であること。

これまでにもときどき「温めてね」と言うと、
その帰りに薬局によって「温シップ」を購入する人がいたのですが、

あれは、本当の「温シップ」ではなく、
「温感湿布」。

ショウガやらトウガラシやらのエキスの成分で、
温かく感じるようにつくられているもの。

つまり「感覚的刺激」になるのです。

ですから、温かく感じるだけで、
正味は冷やしますから注意してくださいね。


物理的に温めることは、もっと単純。

熱いお湯でタオルを絞って、患部に当てていく。

これだけで十分です。


もう少し長い時間温める必要があるときには、
コンニャク湿布ですね。

コンニャクを塩茹でしたものをタオルで包んで患部に当てる。
しばらく温かさが続くので重宝しますよ。


感覚を大切にする。

自分の治る力を信じる。

難しく考えすぎないようにしたいものですね。



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